「死」について

 最近は、自分の体調も良く、また近いところで亡くなる方がいなかったので「死」について意識することが薄れていたのだが、死にまつわる本を読んで以来、自分の中のアンテナが立ったのか、「死」に係ることに心を留めることが増えた気がする。

 その本に書いてあったように、自分の死も人の死も自分から遠いものにしないように「死に慣れる」ことをしておいたほうがいいように思う。以前から、近しい多くの人について、その人が死んでしまうことをふと思いついてしまうことがあり、そのこと自体を後ろ暗く感じることがあったが、そう感じなくてよいのだと気づくことができた。

 小さい時は、身内が亡くなることが続き法事が多かった。思い出すのは、笑ってはいけないと思わされる空気、朗朗としたおしょうさんの声、ミュージシャンさながらのテンポに変化をつけた銅鑼を打ちながらの読経、そしてメンコ(のようなもの)のまき散らし。そしていつも心にしみいる講話。同年代の親戚が多かったため(また、おそらく子供であったため)、人の死や火葬場について、大きなダメージを受けることなく受け入れてこられたのだと今気づく。

 今後も「死」を遠くに追いやらず、肩の上に乗せるかんじで意識してゆきたい。